1、日本での介護の限界



私の父親が認知症になったのは平成16年のことでした。

私の祖母がやはり認知症でしたので、父親もなるのではないかと、
家族は心配していましたが、現実になってしまいました。

そして、平成17年に要介護1でしたが、平成18年には、要介護4にまで、
進んでしまいました。

私の家族はお金持ちではないので、ショートステイを繰り返しながら、
ひと月の半分ほどを自宅で介護しながら特老に入れるのを待ちました。

しかし、特老には、なかなか入れそうにありませんでした。

そして、平成19年それまでショートステイでは、大部屋にいれていたのですが、
個室にいれてほしいと業者がいってきました。

私の家族は個室では、金銭的にとても、無理なのでなんとか、
大部屋に、戻してもらいましいた。

しかし、またいつ個室にしてくれといわれるかわかりませんし、
さらに父親の認知症が進めば、病院に入院させなければならなくなり
病院に入院させるとひと月に50万円かかるときいてました。

さらに自宅では、母親が主に介護していましたが、
母親の体力も限界に近づいていました。

私の家族は、このままでは、一家崩壊で皆で首をくくらなければ、
いけなくなるとおもいました。

そんなおり私のいとこの結婚式に母親が出席しました。
そこに、母親の弟が出席していました。私の叔父です。

叔父はフィリピンで、いくつもビジネスをやっており、
さらにNBIというフィリピンの警察でもありました。

そして、結婚の紹介業もやってるというはなしでした。
私は、まだ独身でしたので、母親が紹介してくれるようにたのみました。

そして、私は、平成19年9月にフィリピン人と結婚しました。
じつをいえば私は以前からフィリピンがすきでなんどもフィリピンへ
渡比していました。

私が結婚したときに叔父と一緒に、フィリピンに行き、そのときに、
フィリピンへ父親を連れて行き介護をできないものかとそうだんしました。

叔父はすぐに、できるといってくれました。

私は日本では、父親の介護に限界を感じていましたので、叔父にお願いしました。


1、日本での介護の
限界
    

2、フィリピン
移住準備


3、渡 比 1 

4、渡 比 2

5,ミンダナオ島へ

6、カバッバラン
到着


7、フィリピンでの
介護開始


8,フィリピン
での介護の
1日の様子 1

9、フィリピン
での介護の
1日の様子 2

10、フィリピン
での介護の
1日の様子 3

11、家の様子

12、カバッバランの
様子 1

13、カバッバランの
様子 2

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